Two Compositions
Tomas Phillips
4th release of〈SAD rec.〉is Tomas Phillips again!! This works is is absolutely masterpiece too.
In one respect, Two Compositions is a failure. The original aim of these tracks was to compose around silence, thus foregrounding the latter, though this course was ultimately subverted by emphatic sounds and forthright melodies that asserted themselves and came to direct each piece. On the other hand, the collection provokes a fascinating tension between relative stasis and compositional expression, a tension that speaks to the enigma of minimalist aesthetics. The practitioner often walks this line, straight or jagged, and in the end must accept the dictates of nothing invariably, and perhaps successfully, becoming something. —Tomas Phillips
トゥー コンポジションズ
トーマス・フィリップス
2013のリリースから1年を空けずにトーマス・フィリップス新作が登場。ケネス・カーシュナーとのコラボ作品である前作の流れを踏襲、ピアノをフィーチャーしたドローン作品。前作よりもワイドレンジで音響的な仕掛けも多いため(低周波のみ収録された部分など) 特に上質の音響機器で再生すると常に新たな発見があり、購入後に何度でも楽しめるでしょう。前作でのアンビエントファンに加えて、新たにポストクラシカルのファン層への訴求できる作品に仕上がっています。DOVUASKIによるマスタリング。300枚限定、デジパック仕様12cmCD。
Track list
01. Composition I
02. Interval for prepared guitar (with Dean King)
03. Composition II
Credits
SADCD-004 / DQC-1257
AUDIO CD - 3 Tracks - 44’47”
Limited 300 copies
2014
Production by Tomas Phillips Synth tones by Dean King (Track 2)
Mastered by DOVUASKI at fuel, Tokyo
Photography by DOVUASKI
At Hakone Japan, 2010 (for cover)
At Yufuin Japan, 2009 (for inner)
First release on 28 May 2014
Distributed by SPACE SHOWER NETWORK INC
Reviews
SAD rec.からリリースされたTomas Phillipsの「Two Compositions」を聴いている。西洋音楽はその楽器の配置や強弱法と、コンサートホールによる客席からステージへの聴覚視点の固定化による音の遠近法を駆使しながら、疑似自然を作り出していった。風は輝き、鳥は歌い、ある時は嵐が吹き荒れる、そういった自然観だ。
ポストクラシカルという言葉でこのような音楽が括られて久しいが、決定的にその時代の音楽と違うのは、録音技術による聴衆の聴き方の変化に伴う遠近法の撤廃、或いは乏しさである。クラシックのCD制作が基本的にコンサートホールでの録音を主とするのに対し、こういったポストクラシカルな音楽は、いくらでも再生して編集可能なスタジオのモニタースピーカーの為に捧げられている。強弱の付けられる表現豊かなクラシックの楽器をあえて使用しつつもそれを抑制し、一度この世から消えた、死んでしまった音を継ぎ接ぎしながらフランケンシュタインを作る。このような多くの作品にしばしばロマンティックで禁欲的な雰囲気が漂うのは、過程を含めたこうした一連の制作が、生きた音世界へ絶望的に届かないからである。そして、沈黙は喪の気配を増幅させる。「Two Compositions」の過剰とも取れる程のピアノの残響は、この絶望的な距離と断絶感をおそらく表現したものなのだろう。
LINEから2006年にリリースされたモートン・フェルドマンに捧げられた彼の作品「Intermission | Six Feuilles」では、90年代から00年代に盛んに言われた楽器と電子音の対立や融解が、螺旋階段を一周上ったように、即興と構築の対立や融解に挿げ変わり押し戻されていた。いかにもメシアン~フェルドマンといったピアノの響きをナレーターに、琴や物音、電子音がまばらに配置されている。つい書いてしまったが、まばらさは時間を見通せるものと仮定した上にあるので、シーケンスソフトのように音楽を把握することは便利だが危険だ。
時間軸における、音がある/ないの配置配分それ自体に主眼を置くという発想はやはりケージのものであるし、彼はその方法論を明示していないのでこれは私の憶測だが、しかしそれでも「楽器と非楽器」「インプロヴィゼーションとコンポジション」「記録と編集」という実験音楽ではとりわけ都度問題になる諸要素の、まるで針の穴のように中庸な隙間に自らの音楽を通す彼の姿勢は、一見ひどく分かりやすく見えるが同時に過剰に不透明なのであって、それ故に評価されるべきである。
相田悠希 (AOR / murmur records)
ポストクラシカルという言葉でこのような音楽が括られて久しいが、決定的にその時代の音楽と違うのは、録音技術による聴衆の聴き方の変化に伴う遠近法の撤廃、或いは乏しさである。クラシックのCD制作が基本的にコンサートホールでの録音を主とするのに対し、こういったポストクラシカルな音楽は、いくらでも再生して編集可能なスタジオのモニタースピーカーの為に捧げられている。強弱の付けられる表現豊かなクラシックの楽器をあえて使用しつつもそれを抑制し、一度この世から消えた、死んでしまった音を継ぎ接ぎしながらフランケンシュタインを作る。このような多くの作品にしばしばロマンティックで禁欲的な雰囲気が漂うのは、過程を含めたこうした一連の制作が、生きた音世界へ絶望的に届かないからである。そして、沈黙は喪の気配を増幅させる。「Two Compositions」の過剰とも取れる程のピアノの残響は、この絶望的な距離と断絶感をおそらく表現したものなのだろう。
LINEから2006年にリリースされたモートン・フェルドマンに捧げられた彼の作品「Intermission | Six Feuilles」では、90年代から00年代に盛んに言われた楽器と電子音の対立や融解が、螺旋階段を一周上ったように、即興と構築の対立や融解に挿げ変わり押し戻されていた。いかにもメシアン~フェルドマンといったピアノの響きをナレーターに、琴や物音、電子音がまばらに配置されている。つい書いてしまったが、まばらさは時間を見通せるものと仮定した上にあるので、シーケンスソフトのように音楽を把握することは便利だが危険だ。
時間軸における、音がある/ないの配置配分それ自体に主眼を置くという発想はやはりケージのものであるし、彼はその方法論を明示していないのでこれは私の憶測だが、しかしそれでも「楽器と非楽器」「インプロヴィゼーションとコンポジション」「記録と編集」という実験音楽ではとりわけ都度問題になる諸要素の、まるで針の穴のように中庸な隙間に自らの音楽を通す彼の姿勢は、一見ひどく分かりやすく見えるが同時に過剰に不透明なのであって、それ故に評価されるべきである。
相田悠希 (AOR / murmur records)
For those who like it minimal, 'Two Compositions' is a hot water bottle. Experimental artist Tomas Phillips originally conceived of these works being focused on silence, with other sounds merely complementing and infecting the zero sound aesthetic. Instead, the compositions show the conflict between secure, ambient soundscapes and sudden shocks to the system. The result is a record that lands somewhere between meditative and shocking.
Norman Records
Norman Records